カノンの海外ドラマ漂流記

気ままな海外ドラマ中心のブログです。ネタバレ記事中心です。

「一度きりの大泉の話」萩尾望都、読みました

■つぶやきコーナーです。作品紹介というよりは日々の覚え書きなど■

 

海ドラ関係無いんですが、今週買った本↓ のつぶやきです。

 

やっと買った。高かった・・・

さらに高かった・・・でも出版文化のためにがんばりました・・・💦

気になっていたこれも

一度きりの大泉の話

 

何冊か並行して読むクセがありまして、ただ「一度きりの大泉の話」は一日で読んでしまいました。簡単感想です。

 

 

そうだったのかぁ、知りませんでした。

 

1970年代初頭に2年間ほど、東京・大泉で一緒に住んでいた竹宮惠子さん・共同で創作に携わっていた(原作協力、ブレーン的な)増山法恵さんとのことを萩尾望都さんが書いた本です。

 

一緒に住んでいたことも、その後、疎遠になったことも知らなかった身としては、驚くとともに、きちんとこういう書き方をできたことにほっとしました。

 

女性版 “トキワ荘” だと勝手に解釈して歴史ストーリーを作りたい、または商売にしたい執拗な人たち、勝手な想像で発信する人たちに対して、これまで明らかにしなかった経緯・理由を出来るだけ冷静に、でも率直に書いています。

 

苦しかっただろうなぁ。

絶縁して以来、萩尾さんは竹宮さんの本は一切読んでいないそうで、思い出すだけでも苦しかったでしょうに、ここまでまとめる過程は本当につらかったと思います。

でもしっかり、きちんとひと区切りしたことになるんじゃないでしょうか。

 

20代の若い作家たちが情熱のままに走っていると、思い込みからすれ違いや疑心暗鬼が生まれることは想像できます。

竹宮さんも苦しんで悩んだ末のことだったでしょう。才能豊かな後輩が驚きの作品をマイペースで発表し続けるんですから。(と感じました)

 

当時の読者も大人になって人生経験を積んだだろうから理解してもらえるのではないかと思った、という文章はその通り。

50年たったからこそ受け止められる部分はあるでしょう。

 

萩尾さんにとって竹宮さんは何でもできる輝くような存在で、自分は巻末作家なのにライバル視される、嫉妬される理由が分からず、増山さんと2人がかりでいわれのない疑惑をかけられたと感じ、関係を断って、いまも心の痛みは消えていない。

 

内容はさらに、萩尾さんが漫画家になるまでや、当時交流のあった人たちもたくさん出てきてダイナミックです。

木原敏江さんが「クリエイターが2人同居するなんて無理に決まってる」的なことをサバサバ話したり(イメージです)、「人の気持ちがわからない」と悩む萩尾さんに山岸涼子さんが「あなたには分からないわよー」とアッサリ言っちゃうところ、なるほどです。

 

当時、リアルタイムでは読んでいませんでしたが、萩尾望都さんを初めて意識したのは「11人いる!」で、子供心に衝撃を受けた覚えがあります。

それから「トーマの心臓」シリーズをちゃんと読んで、別格の作家さんになりました。

 

山岸涼子さんも木原敏江さんも大好きでした。当時はさらに青池保子さんや大和和紀さんをよく読んでたなあ。竹宮惠子さんは古代エジプトの話が印象に残っています。

 

いわゆるBLについてはよく理解できないので描けなかった、描いても違う方向に行ってしまった、むしろ友情や人間心理が主題になったというような話は興味深かったです。

そもそもBL要素を感じたことはないしなあ。

 

たまたま同じギムナジウムが舞台であっても、まったく違うタイプの作品なので、この2人が同じカテゴリーに入れられること自体、ずっと違和感がありました。

 

少女の話は社会的な制約が大きくて(昭和ですし)、少年は自由に描けるので描くことが多くなった、それから人間としての自由、女性にとっての自由を考えるようになったそうです。(記憶で書いてます。違ってたらごめんなさい)

 

しかし作家どうしの共同生活は大変だ。トキワ荘は(詳しくないですが)手塚治虫さんが突出していたし人数多かったからちょっと違うのかな。ゴッホとゴーギャンもですが、同じ年代どうしだと難しいかも。

 

竹宮さん側は読んでいませんから事実についてどうこうという感想はありませんし、それぞれの感じ方は違って当然だと思います。でも、受け止めた当人の回想録としてとても興味深い本でした。

 

 

 

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dae jeung kimによるPixabayからの画像